2019年11月12日火曜日

台風19号被害による長野県でのセヴァ1(長野市)

OM SRI SAI RAM

大型台風により被災された皆さま、
ご関係者の皆さまに、謹んでお見舞い申し上げます。

本日は、山陰バジャン会メンバーから被災地でのセヴァ報告がありましたので、下記に掲載いたします。

【長野市での台風19号災害復興支援セヴァのご報告】
~長野県災害ボランティアに参加して~

オーム シュリ サイラム  

このたび、私は鳥取県が派遣する、台風19号にともなう長野県の災害ボランティアに参加いたしました。現地での活動は二日間で、帰りのバスの車中泊をふくめ、3泊4日の日程となりました。(令和元年10月27日(日)~30日(水))

まず初めに、私が「ボランティア」という言葉について考えていることをお話ししたいと思います。私たちは常々、この「ボランティア」という言葉よりは、「セヴァ」という言葉をよく用いると思います。このたびもセヴァチームというのが発足したばかりです。
この「セヴァ」という言葉と「ボランティア」という言葉の違いは何でしょうか? 表面的には、セヴァもボランティアも基本的には変わらないと思います。しかし、「セヴァ」はよく「奉仕」とも訳されます。私はこの「奉仕」という言葉のほうがより、セヴァという言葉の本質をよく捉えているように感じます。ニュアンスの問題です。

それでは何が決定的に違うのかと考えてみますと、「ボランティア」は「無償で社会のために自分の能力を活用し役立てる」という意味に対し、「セヴァ」と言うときには、先のボランティアの意味に加えて「社会(あるいは人)への奉仕は、神への奉仕」であるということを認識して行っているか否かではないでしょうか。むろん、そういったことを認識しながら「ボランティア」という言葉を使用する場合には、それでもまったく問題なく、同じように扱ってかまわないと思われます。(『セヴァ - 真のボランティア』という書籍もありますように。)

しかしながら、実際にはこの「ボランティア」をまず体験せずして、真の意味の「セヴァ」を理解することはできないのではと思います。まずは慈悲の心という動機からボランティア活動に参加して、様々な現地での体験を通じて、初めて「セヴァ」の真の意味を理解する「わずかな」きっかけになるだろうと考えます。
また、いろいろな諸事情から、こうした災害ボランティアなどに参加できないという方もおられるかと思います。そういった方々でも悲観することはないと思います。この日常生活の中におきましても、ババ様が講話で仰るように、家事など奉仕の機会はたくさんあるわけですので、そうした身近な活動を通じても、「セヴァ」を行なえるものと考えます。機会がありましたら、こうした災害復興ボランティアにも参加してみて下さい。

さて、本題の現地活動についてですが、現地は非常にたいへんな状況でありました。千曲川に沿った町でしたが、河川の堤防が決壊し、付近の住宅やリンゴなどの果樹園などが多く被災しました。集落の細い道を歩きながら確認しましたが、およそ2メートルもの高さの水に浸かったことが見てとれました。ボランティアセンターとなっていた老人ホームの敷地のフェンスの下にも、流れ着いたであろうリンゴの果実がいくつか止まっていました。
住宅街のすぐ近くの果樹園も、今が収穫期というように、リンゴをたわわに実らせながら、流れてきた泥が、一面を覆っていました。収穫する直前に、被災してしまったのでした。中には、果樹園の真ん中で軽トラが上下さかさまになっています。たいへん悲しい現実が、目の前にありました。


現地での活動は、一日目は住宅や敷地に置かれた被災ゴミ(「ゴミ」と言うことが心苦しい。なぜならこれらは日常的に使用していたものだから。)を軽トラに積む作業でした。軽トラに積み込んだ後は、ご主人が運転する軽トラに乗せてもらってついていき、被災ゴミの仮置き場に到着すると、それらをそこに降ろす作業を手伝いました。朝のうちは少なかった置き場のゴミも、次々と運ばれてきて午後には山になりました。

運んだものの中には、リンゴの生産に関わるものも多くあり、あるいは建物の木材、日常生活の使用品など様々で、重たいものは家の方といっしょに持ち上げたりしてお手伝いしました。午後、運ぶものが一段落しますと、地面に溜まった泥を道べりに出したりする作業でした。
二日目の作業はより大変でした。家の前のいわゆる馬屋(まや)の中に流れ込んで溜まった泥を、スコップと一輪車で外に運び出す作業でした。連続しての力仕事は、息をふき、汗をかきました。休憩を適宜とりながら、行っていきます。だいたい30分作業して、10分から15分くらい休憩するのを繰り返しました。雨模様でしたので、泥ですべらないよう、足元に気を付けながら作業しました。

ある休憩のとき、近くの公民館まで歩いて行ってみました。お宅を出てから行く道を右に曲がると、想像をはるかに超えた光景がありました。どこからか流されてきた家が、別の家に止まっていました。さらに道を進むと、基礎だけが残された住宅街が広範囲に広がっていました。

雨模様だったので、この日は午前中で作業中止になりました。ご近所で、炊き出しをしているということで、そちらのお昼もいただきながら、被災したお宅の駐車場で、被災者さんやボランティアの人で食卓を囲みました。被災された高齢のご夫妻とのお話もしつつ、なごやかに時間が経ちました。被災して大変な思いをなされたにもかかわらず、終始にこやかにされておられたのが印象的でした。
今回、こうした活動に参加して思いましたのは、被災地におもむいて、被災の片づけをお手伝いすることは、自分も被災を体験することだと思いました。その方の身になって、自分が被災したように思い、自分のことのように、その方のお家をきれいにしようと努力すること、この一念に尽きます。私たちにはたった二日のことですが、ここの方にとっては、毎日、何日も何日も片づけに向き合っておられます。それは大変お疲れのことでしょう。少しでも、そのご疲労の軽減に役立てたでしょうか。
サティヤ サイ ババの御言葉です。
『人体の助けを借りてどんな快楽を味わっても、それらはすべて肉体それ自体と同様に、いつの日か一瞬のうちに手放さなければなりません。そうした束の間の快楽のために幾多の試練と苦難に耐えるべきなのでしょうか? 皆さんは人間の体の内に存在するジーヴァ(個々の魂)を敬わなければなりません。それこそが真のダイヴァ セヴァ(神への奉仕)です。皆さんは自分の体をそうした奉仕にささげるべきです。もしそれを行うなら、人生の一瞬一瞬が新鮮で新しく、毎日が祭日となるでしょう』
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
すべての世界のすべてのものが幸せになりますように
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SSIOJ奉仕チーム
・お問い合わせ: saihelp@sathyasai.or.jp
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