2020年9月8日火曜日

熊本県での豪雨災害復旧支援セヴァ5~7(人吉市・球磨村)

OM SRI SAI RAM

令和2年7月豪雨により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに、謹んでお見舞い申し上げます。

鹿児島グループや九州レディースのメンバー等が人吉市及び球磨村へ行き、セヴァを行ってきましたので以下にご報告いたします。

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《7月30日(木)第5回目の被災地セヴァ》

被災された球磨村の方々の避難所(人吉市内)へ、お約束していたカセットコンロ、カセットボンベ、やかん、ティ―パックをお届けしました。
被災地も急に猛暑となり、ご高齢の方々が温かいお茶を欲しがっておられたので「大変喜ばれるでしょう」とのことでした。
その後、皆様からお送りいただいた支援物資を自宅避難されておられる所へ、現状や困っておられることなどのお話を伺いながらお渡しさせていただきました。
現地は気温が一変した猛暑の中での片付けということもあり、熱中症にならないよう片付けの作業も時間を区切り、こまめに休憩されていました。休憩時の会話から、当時の記憶が蘇ってきたり今後の生活を考えたりと、暑さのなか寝つけなかったり肩が凝ったり、足がしびれたりと、体調を崩される方も出てきているように感じました。
幸いにも整体マッサージ師もセヴァに同行しておりましたので、時間に限りがあるため充分にはできませんでしたが、できる範囲でのマッサージをしますと「大分体が軽くなりました。有難うございます」と笑みを浮かべて喜んでおられました。

《7月31日(金)第6回目の被災地セヴァ》

昨日のセヴァと同様、皆様からの支援物資を自宅避難されておられる方の所へ、現状や困っておられることなどのお話を伺いながらお渡しさせていただきました。
被災から1ヶ月近くになりますと、心身両面の不調を話される方が多くなり、「話を聞いてもらえて気持ちが少し楽になりました」「暑い中、有難うございました」などのお言葉をいただき、中にはご自分用の貴重なペットボトル水を「持って行ってください」と差し出される方もおられました。「有難うございます。お気持ちは頂きましたから、この水はご自分のために使ってくださいね」とお伝えしてその場を離れましたが、私たちの車が見えなくなるまで見送ってくださいました。
その後、球磨村の避難所へ寄りました。
猛暑が数日続いたことで球磨村地域の土砂災害の危険度も低くなり、避難所で生活されている球磨村の方で体調が良い方は、日中の間のみ自宅に帰って片付けを始められているとのことでした。
その際お一人500mlのお水を3本ずつ持っていくためのビニール袋と、避難所で使用する45ℓのビニール袋が人吉市内では調達が難しく、スタッフの方の話では避難されておられる方々にも不便をかけているとのことでした。
この件については、早急に対応できる支援でしたので「できるだけ早急にお持ちします」とお伝えしました。

《8月2日(日)第7回目の被災地セヴァ》

球磨村避難所に、ご要望のビニール袋をお渡しますと「被災された方々は何もかも失い、ご自宅の片付けに行かれるのに不便をかけていたので、とても有り難いです」とスタッフの方もとても喜んでおられました。
これまでの生活が急変し避難所での生活が1ヶ月ともなると、腰の痛み、足の痺れなどを訴えるご高齢の方が多くなってきたとのこと。現在、災害用段ボールベッドで休んでおられますが、特に腰痛を訴える方が多くなってきたとのことです。
ある方は下肢の痺れの症状も呈してきており、近く入院するかもしれないと話されていました。
球磨村の災害状況は、ほぼ壊滅的で殆どの方が自宅とは離れた人吉市の避難所で生活をされています。「何もかも失った」と話される方が殆どで、自宅避難もできる状況ではないと聞いています。ご高齢でこのような災害に遭われ、返す言葉もなく唯々お話を聞くことしかできませんでした。

サティヤ サイ ババの御言葉です。
『今日、自分の役割をきちんと果たす人はめったにいません。話が多すぎ、活動が少なすぎます。すべての人が、本来、自分は召使であり、また「ワーカー」〔働き手〕であるという感覚を育てるべきです。自分の力量を超えて働くことは誰にも求められていません。また、誰であれ、規律が厳しすぎるという理由でオーガニゼーションを離れることなど、考えるべきではありません。皆さんは、奉仕ほど偉大で神聖な神への道はないことに気づくべきです。これは、今生であなたが得た黄金のチャンスなのです』
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
すべての世界のすべてのものが幸せになりますように
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SSIOJ奉仕チーム

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