2024年10月16日水曜日

第10回SSO関東合同献血セヴァのご報告

OM SRI SAI RAM

【第10回SSO関東合同献血セヴァのご報告】

9月22日(日)に、東京の自由が丘駅前で行われました献血セヴァの報告がありましたので、皆様にお知らせいたします。

*****
オーム シュリ サイラム

9月22日(日)自由が丘駅前広場にて第10回目となる献血セヴァが行われました。
午前の献血開始当初は、プラカードが飛ばされそうになるほどの強風のため、献血車の周りもテントを出せない状況で、横付けしたミニバス内で受付対応をしていました。
しかし、広報セヴァを始めた頃から次第に風は止み、少しずつ穏やかな天候になっていき、スワミの恩寵に感謝しました。
午後のセヴァメンバーが足りないのを知り、午前中のセヴァの方たちが「午後ももう少し残れます」と言って4名残ってくださったので、午後の出足がとてもよかったです。
また、日本やインドの青年たちが日本語で一生懸命広報活動しているのを見て「以前から気になっていた」「初めてだけどやってみたい」など高校生、大学生、海外の方が何人も受付に立ち寄ってくださいました。
そして後日、日本赤十字の担当者の方から、報告書を送付いただく際に、次のようなコメントをいただきました。
「9月22日(日)は東急自由が丘駅前での献血会の実施誠にありがとうございました。58名様にご来場いただき、50名様にご協力いただきました。9月16日に実施した際は39名様のご来場でしたので今回22日の結果でいかに皆様のご協力が大きいことだと改めて感じました。ぜひとも来年度もお願いさせていただければと存じます。誠にありがとうございました。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。」とのことでした。

【献血報告】
◉献血申込み人数 58名(その他テントまで足を運んでくださった方多数)
◉献血者 50名
皆さまからのたくさんの支えにより無事に終えましたことを、この場を借りまして心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
ジェイ サイラム

サティヤ サイババの御言葉です。
『「神が肉体を授けたのは、他者に奉仕し、そうすることで他者を助けるためである」という真理を理解しなければなりません。人類への奉仕にまさるものはありません。人への奉仕は神への奉仕です。すべての偉人たちはただ人類への奉仕によって自らの人生を聖化しました。それゆえ、今すぐにでも人類への奉仕を始めなさい』
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
すべての世界のすべてのものが幸せになりますように
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2024年9月4日水曜日

夏のナーラーヤナ セヴァのご報告

OM SRI SAI RAM

本日は、東京サイセンターからのナーラーヤナ セヴァの報告です。

東京サイセンターでは、四半世紀にわたって、東京のホームレスの方たちに無償でお食事を提供しています。

今回は猛暑を乗り切るための支援品も一緒にご提供するため、8月1日から17日まで、東京センターのメールマガジンを活用して、指定支援品の募集を行いました。
そして、皆様のご協力により、十分配れる数が揃い、無事8月17日(土)にお弁当と共に、ナーラーヤナ神(ホームレスの皆様)へお渡しすることができましたことをスワミへの感謝とともにご報告いたします。

短期間の募集にもかかわらず、買い揃えて箱詰めして送ってくださった方、東京センターに来る機会を利用して置いて行ってくださった方、ナーラーヤナ セヴァの日に合わせてセンターに来館してくださる方など、様々な形でたくさんの帰依者の方からナーラーヤナ神へのお届けものが届きました。

集まったおおよその数は、熱中症予防タブレット&アメ60袋、Tシャツ200着、水羊羹130個でした。


きっと猛暑の中買い集めるのには大変な思いもされたことと思います。お一人おひとりのナーラーヤナ神を気遣う大きな愛の詰まった品々は、17日の梅干し弁当とカレー弁当合わせて100食分と共に代々木公園にて無事お届けさせていただきました。
ナーラーヤナ神の皆様も「いつもありがとう」「本当に助かります」と口々に言われ、笑顔で受け取ってくださいました。

◉8月17日にお配りしたもの
・梅干し弁当とカレー弁当100食
・冷たい麦茶
・プレゼント約70セット
 内容:Tシャツ2着・夏用お菓子の詰め合わせセット1袋(アメ、塩タブレット、水羊羹)

準備にあたり、たくさんの方々からのご寄付を賜りました。この場をお借りしてご協力いただいた皆様、そしてババ様にお礼申し上げます。


サティヤ サイババの御言葉です。
『愛は人間に本来備わっているものですが、人間の中にある愛も、肥料と水で養分を施されなければならない種のように、サーダナ(献身的な奉仕)とプレーマ(愛)によって養われなくてはなりません。愛は神聖な性質です。愛は甘露のようなものです。神の愛の不滅の甘さを味わった人は、他に世の中のものは何一つ望まなくなります。人生は、絶え間ない愛の発露とならなければなりません。今、愛は、抑制された、利己的な方法で表されています。愛は社会への奉仕という形で表される必要があります。愛は、他の人々に捧げ、他の人々と分かち合わなければなりません。そうすることで、愛は互恵的な、絶えず拡大していく体験となるのです』

https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19871124.html

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2024年3月2日土曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ6&7(七尾市)

OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

2月10日(土)と24日(土)に実施した震災復旧支援セヴァについて、金沢グループからご報告させていただきます。

【2月10日(土)】
田鶴浜高校の避難所に、食事をお持ちしました。
今回も宝達志水町民センター「アステラス」の調理室を利用して、
料理を作らせていただきました。

<ベジタリアン メニュー>50人分
・炊き込みご飯
・肉じゃが(肉なし)
・豆腐ハンバーグ
・スイートポテト

避難所に14時頃到着し、無事お渡しする事ができました。
避難されている方は、家の片付けなどに戻られたりしていて、お会いできなかったのですが、対応してくださった市の職員の方も喜んでくださいました。

【2月24日(土)】
今回も田鶴浜高校の避難所に、食事をお持ちしました。
宝達志水町民センター「アステラス」の調理室を利用して、料理を作らせていただきました。

<ベジタリアン メニュー>30人分
・カレー(SBゴールデンカレー)
・インドカレー(サイ大学卒業生の手づくり)<Chole curry / ひよこ豆のカレー>
・漬物
・フルーツ

14時頃に着き、無事にお渡しする事ができました。
避難されている方は、家の片付けなどに戻られたりしていて、お会いできなかったのですが、今回も対応してくださった市の職員の方が喜んでくださいました。
また、避難所の合併が3月4日に行われる予定とのことで、今後のセバの計画をどうするか検討していこうと思います。

以下は2月10日(土)のセヴァに参加した、サイ大学の卒業生で学位取得のために来日している学生さん2名からの体験報告です。

*****
避難所のお年を召した方々へのセヴァに参加できて、とても幸せだと思いました。今回の震災は、多くの地域で人々の生活に深刻な被害をもたらしました。
このような状況では、できうる限りの助け合いが必要です。避難所で食事を提供しておりますが、お年を召した方々はできたての温かいものを召し上がっていただく必要があります。今後、私もナーラーヤナ(人の姿をとった神)様たちに、もっとおいしいものを用意して、このつらい時に喜んでいただけるようにしたいと思います。

I felt very happy to be a part of seva for elderly people in the evacuation centre. The recent earthquake caused serious damage to the lives of people in many regions.
In such circumstances, it is necessary to help each other to the best of our abilities. Though food is being provided in the evacuation centre, elderly people need to eat food that is hot and freshly prepared. In future I also look forward to preparing more tasty food items for the narayanas and make them happy in this difficult time. 

*****
今回のナーラーヤナ セヴァは、特にメニューにある日本料理がとても素晴らしいものでした。能登の方々もその努力を高く評価してくださったと思います。
てきぱきとしていて、料理の準備や配達が遅れることはありませんでした。細部まで行き届いたものであっただけでなく、今回は多くの学生や人々が参加してくれたので、私も嬉しかったです。

This time Narayana seva was really nice, especially with the Japanese dishes on the menu. I am sure the Noto people would have appreciated the efforts.
It was crisp and there was no delay in preparing the dishes or delivering them on time. It was very meticulous the way things have happened, besides a lot of students and people participated this time which made me happy.

サティヤ サイババの御言葉です。
『愛――愛だけが、他の人々とあなたを、そして、まさしく愛の化身である神とあなたを、結び付けることができるのです』
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
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2024年2月22日木曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ5-3(七尾市)

OM SRI SAI RAM

昨日の投稿に引き続き、2月4日(日)七尾市にある避難所の田鶴浜高校で行なわれた、セヴァのご報告をいたします。

セヴァに参加した、サイ大学の卒業生で学位取得のために来日している学生さんたちからの体験報告の第二弾です。

*****
2024年1月1日に発生した地震以来、能登半島では、まだ多くの被害が回復していません。被災された多くの方々が、いまだ避難所で暮らしていらっしゃいます。電気や水道といった基本設備はまだ、ほとんどの人に普及してはいません。
(注記:2月21日現在、石川県内の停電戸数は約1200戸(七尾市内は約10戸)、断水状況は2月20日現在、七尾市内では約4割の7726世帯が断水中)

2月4日の日曜日、サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパンのメンバーと何名かのサイの学生が、七尾市の避難所で生活されている方々のためにお食事を用意する、ナーラーヤナ セヴァに参加しました。食事をお届けする避難所には、33名ほどの避難されている高齢者の方々が生活されていました。お食事はその方々の食生活を考慮して、準備しました。朝9時近くから調理作業を開始して、午後1時には準備を終え、それから車で七尾の避難所に向かいました。

個人的に思うことは、私たちがしたことは、助けの必要な方々を助けることだということです。この災害が引き起こした死と惨状を知っているからこそ、私たちはできることをしようとしたのです。私たちのほとんどが、この震災で大きな被害を受けた方々のために、心の中で祈りながらこのセヴァ(奉仕活動)に取り組んでいたのだと確信しています。震災からこの1ヶ月間、誰もが元日のショックの余波を強く受けていました。

被災した家や道路を通り過ぎて避難所へと車を走らせると、私は震災の日の煮えたぎるような恐怖を再び感じました。主にご高齢の住民の方々は地面や家、庭など、どこにいても、これまでに感じたことのない揺れを感じたとき、恐怖を感じたに違いありません。しかし過ぎていく光景を眺めていると、そこには静寂だけが残されていました。2月4日はスワミの恩寵で晴天に恵まれました。私は、人々が自分で修理を行い、できる限りのことをして生活していらっしゃるところを見ました。

たくさんの家の窓にはビニールシートが張られていました。傾いている家もありました。地面に瓦礫が散乱している古い家も見ました。道路や歩道は、あちこちがひび割れていました。被害は甚大で、復興しなければならないものがたくさんあります。避難所に着くと、そこで働いている方たちが出迎えてくれ、その避難所と、まだ100人以上の方たちがいらっしゃるという、近くの避難所の現状を教えてくださいました。

この避難所はコミュニティーホールで、大ホール(注記:体育館)そのものが寮のようになっており、段ボールで仕切られ、一時滞在をする方々のプライバシーが確保されていました。最高齢は97歳のおばあさんでした。避難所も含め、この地域にはまだ水道が通っていませんでした。また、建物内で調理する設備もないため、食料はいつも避難所まで運ばれていました。私たちは見聞きしたものにより、自分たちができることを精一杯やって、助けられる方たちを助けよう、という気持ちを強めました。

短い挨拶とお礼の後、私たちは建物を出て、次のセヴァの計画を話し合い、そして出発しました。

このような苦難の時こそ、愛がどれほど大きな力になるかを思い出す必要があります。もちろん、私たちは思うように貢献できないかもしれません。しかし愛があれば、それが祈りであれ、救援物資を送ることであれ、単に応援メッセージを送ることであれ、人は失われたものを復興するために続いていく努力に対して、自分なりの方法で貢献することができるのです。正直なところ、私は自分のしたことに満足していません。しかし、他に何ができるでしょうか? だから、私は祈ります。私たちの愛するバガヴァン(尊神)のマヒマ(奇跡)をお祈りいたします。バガヴァンが私のためにここにいてくださったように、こうした困難な時にバガヴァンを必要とするすべての人のために、そこにいてくださいますように、お祈りいたします。

ジェイ サイ ラム

Narayan Seva: February 4th 2024, Sunday

Since the earthquake on January 1st, 2024, there is still much damage from which the Noto peninsula has yet to recover. Many people who were affected by it are still living in shelters. Basic facilities such as electricity and running water are still not widely available for most people.

On Sunday, February 4th, members of the Sathya Sai Organization Japan as well as a few Sai Students were part of a Narayan Seva to prepare food for some of the people living in a shelter in Nanao City. The shelter where the food was to be delivered housed around thirty three displaced elderly. Food was prepared keeping their diet in mind. We started the endeavor close to nine o’clock in the morning and finished preparations by one o'clock in the afternoon. Then, we drove to the location of the shelter in Nanao. 

Personally speaking, I knew that what we were doing was to help people, people who were in need of help. I knew that there was death and devastation that this disaster had caused and we were trying to do what we could to help. I am sure that most of us were praying in our minds as we went about the whole event for the people this disaster had affected so much. This entire month since the earthquake, everyone has been keenly aware of the aftermath of New Year’s Day shock. 

For me, as we drove to the shelter past damaged houses and roads I felt simmering fear from the day of the earthquake again. I felt the terror there must have been when the residents- mostly older people- felt the ground, their houses, their gardens, wherever they were, shake as they had never felt before. But as I looked at the passing scenes, there was only the silence that was left behind. February 4th was a sunny day by Swami's grace. I saw people going about  fixing what they could and just living as best that they could manage. 

Many houses had plastic tarpaulins for windows. Some houses were bent askew. I saw one very old house in rubbles on the ground. Cracks in the road and pavements were littered all over the place. The damage is done and there is much to rebuild. Once we reached the shelter, we were greeted by the people working there and they gave us a rundown of the status quo in the shelter there as well as the nearby shelter where a larger number of people- over a hundred- were still living. 

This shelter was a community hall where the main hall itself had been turned into a dormitory of sorts with cardboard partitioned-spaces for privacy of the temporary residents. The oldest resident here was an elderly lady of ninety-seven years of age. This area, including the shelter, still did not have access to running water. They also did not have facilities to cook within the building so food was always brought to the shelter. What we saw and heard, only made us feel more determined to do the best of what we could to help those we could.

After the short greetings and thanks, we left the building and discussed plans for the next seva. Then, we left.

It is in times of hardship such as these when we need to remember how much love can go a long way. Of course, we may not be able to contribute to the cause as we wish to; more actively as I am sure many do. Yet, with love, be it in prayers or sending relief supplies or simply messages of support, one can contribute in their own way to the ongoing efforts to rebuild what was lost. Honestly, I am not satisfied with what I have done on my part to help. Yet, what else can I do? So, I pray. I pray for the mahima of our beloved Bhagwan because even if I cannot help, he can. As he has been here for me, I pray that he will be there for all who needs him in such trying times.

Jai Sai Ram.

サティヤ サイババの御言葉です。
『「カルナ」(慈悲)とは何でしょう? 苦悩している人を見て言葉で同情を表すことが慈悲なのではありません。慈悲は、苦悩を軽減する行動によって、表さなくてはなりません。人は誰もが己の愚かさゆえに苦しんでいる、ということを口実に、よそよそしい態度を取ったり、無関心であったりすべきではありません。人が苦しんでいるのは、本人の過ちのゆえかもしれませんが、誰でも過ちは犯しがちです。私たちは、自分の苦しみを取り除こうとするのと同じように、皆の苦しみを癒す方法を探すべきです』
https://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/pdf/SelflessSeva2014.pdf
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2024年2月21日水曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ5-2(七尾市)

OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

前回のメルマガでは、2月4日(日)七尾市にある避難所の田鶴浜高校で行なわれた、手作りのお食事を提供するセヴァのご報告をいたしました。
※写真付きの上記報告は、こちらから読むことができます。

今回は同じセヴァに参加した、サイ大学の卒業生で学位取得のために来日している学生さんたちからの体験報告を二回に分けてお送りいたします。

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サイラム
2月4日のセヴァ活動に参加できて、私は本当に幸せに思います。
ご高齢の方々のためにお食事の調理をすることは、大変良い考えです。すべてのことが安定するまで(セヴァを)続けられるとよいと思います。
また、ご高齢の方々の健康のために、タンパク質を多く含む他の和食の献立も試すことができます。皆さんが食べやすく、保存のきくお食事に重点を置いて試してみるのもいいと思います。
サイラム

Sairam, I am indeed blessed to have been a part of the Seva activity that occurred yesterday. Cooking food for the old people is a very good idea. I hope we could continue to do it until everything becomes stable. Also, we can try other Japanese recipes with high protein content as it will be healthy for the old people. We can also try to focus on food items that are easily edible and storable by them.

*****
2月4日に行った、お食事を作るというアイデアと、毎週末にお食事を作ろうということは、とても素敵なことです。
スワミの祝福のもと、これからも続けていきたいと思います。
インドカレーを作ることについては、インドカレーは香辛料が効いているので、日本のご高齢の方々には違った味になってしまうと思います。ですから、ご高齢の方々が好きな日本のカレーを作って、スワミのプラサーダム(供物)を楽しんでいただいた方がよいと思います。

Yesterday the concept of making food and trying to do it on every weekend is so nice. Hope we continue to do so with swami's blessings. Regarding making Indian curry I think Indian curry will be spice and different taste for old Japanese people. If they don't like then it is waste of food. So it is better to make Japanese curry which they like and enjoy swami's prasadam.

*****
先週の日曜日は、セヴァで素晴らしい経験をしました。
1月1日に私たちが災害に遭った後は、生活を復興し、いつもの生活に戻していくことが大切です。
私たちが行った避難所でのセヴァでは、こうした困難な時に支援を必要としている、たくさんのご高齢の方々がいらっしゃいました。
私たちが避難所のセヴァを行うのは1週間に1日だけですが、このような精神的なサポートを行うことが重要です。
金沢サイセンターのメンバーは、避難所の方々に適した食材を慎重に決めました。今後もこうした支援を続け、人々を元気づけ、幸せにしていきたいです。私たちはまた、新しいお食事を用意して、避難所に心地よい環境を作ることもできるでしょう。

I had a nice experience in the seva on last Sunday. After a calamity that we faced on Jan 1, it is important to rebuild and restart our lives back to normal. The seva in evacuation centre we conducted has many elder people who need support in such difficult time. Though we provide seva only one day in a week, it is important to provide them such moral support. Members of kanazawa sai centre carefully decided the food items that are suitable for the people in evacuation centre. I hope that in future also we continue to provide such support to cheer the people and make them happy. Perhaps we can also try preparing new food items and create a pleasant environment in the evacuation centre.

サティヤ サイババの御言葉です。
『サティヤ サイ セヴァ オーガニゼーションは、愛の上に築かれます。愛の上で育ちます。愛を広げます。そこに愛以外の情動や態度が入り込む場はありません。
神性は磁石です。人間性は鉄です。愛はそれらをくっつける力です。ナラ〔人〕は鉄です。ナーラーヤナ〔神〕は磁石です。愛は二つを一つに引き寄せる力です。人を苦しめるアシャーンティ(平安の欠如)は消え去るべきです。人はプラシャーンティ(深く根ざした内なる平安)を獲得すべきです。これこそが、私が始めた組織の目的です。
正直でいること、愛すること、活動的であること、そして、真実と愛と他者への奉仕の手本でいることによって、私に奉仕しなさい。つまり、あなた自身に奉仕しなさい』
https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19681001.html
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2024年2月12日月曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ5(七尾市)

OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

2月4日(日)の災害支援セヴァについて、金沢グループからご報告させていただきます。

七尾市にある避難所の田鶴浜高校に、今回初めてお食事をお持ちしました。
避難所での火を使った調理はできないため、できるだけ近い所で調理できる所がないか探したところ、宝達志水町民センター「アステラス」が普段は土日祝日休館なのですが、使用理由と団体名を伝えたところ、日曜日だったのですが、使用許可が下りました。
<ベジタリアンのメニュー> 50人分
・のり巻き(きゅうり・おしんこ)
・いなり寿司
・ポテトサラダ
・めった汁(具だくさんの野菜が入ったお味噌汁)
14:15頃に田鶴浜高校に着き、無事にお渡しする事ができました。

避難されている方は、家の片付けなどに戻られたりしていて、お会いできなかったのですが、対応してくださった市の職員の方も喜んでくださいました。
現地で火を使用できないことを事前の調査で知っていましたので、温かいままお届けしたく、できるだけ被災地に近い所から運ぶことを今回検討させていただきました。

次回もお弁当持ち込みのお約束をさせていただきましたので、2月10日(土)同じ時間・場所で調理し、田鶴浜高校ヘ行かせて頂く予定でいます。

以下は金沢グループのメンバーで、富山県から今回のセヴァに参加した方からの報告です。

*****
国の名勝に指定され、多くの観光客も訪れる石川県輪島市の「白米(しろよね)千枚田」の美しい風景が北陸銀行の2024年のカレンダー。年末に北陸銀行で能登・輪島市の白米千枚田の美しい景色のカレンダーをもらった時、「来年は輪島観光に行きたい!」と思った。まさかその数日後、そのカレンダーの美しい場所が震源地となる、震度7という残酷な地震が起こるとは予想だにしなかった。しかし「輪島の朝市」という文字が脳裏に浮んでなかなか頭から消えないのが自分でも変な感じがしていた。

昨年12月30日、私の所に遊びに来たサイの兄妹姉妹に「お正月休みに能登に行かない?」と誘う言葉が私の口まで出かけた直前、「STOP」と内から大きな促しがあり、言うのを止めた。あの時、STOPという促しがなければ、1月1日に私達は能登に観光に行っていた可能性は大いにある。
楽しいはずの能登里山街道、なぎさドライブウェイの千里浜、金沢方面から能登に向かう道路は日本海を眼下に見ながら能登に暮らすおじいちゃん、おばあちゃん、ご両親、兄妹姉妹、友達に会うため、癒しのお正月を過ごすため、大勢が車でこの街道を能登に向かい、1月1日でそのまま、もう戻って来れなくなった。

2月4日(日)
金沢グループ サットサング16名で羽咋郡宝達志水町門前にあるアステラスという施設で調理をし、そこから36キロ奥の七尾市の避難所の1つ田鶴浜高校に15名で訪問。
皆で作った海苔巻、いなり寿司、汁物等を届けた。

蛇口から1滴の水も出ない現状がつらく、「ちょうど今日からダンボールでプライバシー空間ができました。心をお寄せ頂きありがとうございます!」と仰る避難所に避難しながら市役所に働きに行っておられる女性の気丈さに感心した。
「心を寄せて頂きありがとうございます...」 と何度もその女性が私達に仰って、「心を寄せる」これはセヴァの基本であると肝に命じた。

33名の避難者が田鶴浜高校におられると「名古屋市」とプリントされたゼッケンを付けているスタッフの人から聴いた。
ダンボールの仕切りの空間が並んでいる体育館、海が近いにもかかわらず1滴の水も出ない蛇口にショックを受け、為す術もない自分の不甲斐なさ。

避難所を後に、田鶴浜ICから能登里山街道を金沢グループは4台の車を走らせ、金沢方面に戻った。我々が金沢へ戻る道、反対車線に目を向けると、年末から元旦に能登に向かって里山街道を通って行ったであろう被災し命を落された人々の、特に幼い子供さん達を思うと、これから未来があったはずの人生が無念で悔しく、ずっとただ悲しく、(スワミ、どうして。。。なんで、スワミ)という想いが込み上げて、涙が溢れてきたが、同じ車に乗っていたSai姉妹(アナンタプール校の卒業生達)は、働き疲れて眠っていた。

1月に富山県の避難所に訪問した時は、私ひとりだった。避難所の帰り道は波動が重く、あと1キロで自宅にたどり着く地点で身体が疲れて動けなくなり、コンビニで休んでから帰宅できたという事が、2度ほどあったが、2月4日はサイファミリーと共に行動したせいか、波動が軽くスムーズに帰れた。
サットサングの良さは、波動の軽さであると実感した。
被災地の波動はまだまだ重く感じられ、「みんな幸せになりますように」と祈らずにはいられなかった。

ジェイ サイラム

サティヤ サイババの御言葉です。
『丈夫で力のある人は、弱く無力な人を守るべきです。だれか困っている人を見かけたら、その人に思いやりを示し、涙をぬぐってあげるよう努めなさい。これが真の慈愛です。このような慈愛は正義です。それは愛です。私たちが自分の愛を拡大したとき、全世界に幸福をもたらすことができます。ですから、愛を育みなさい。もし貧しい人や病人、困っている人に出会ったら、何であれあなたができる援助を施しなさい。あなたがそのような人々に助けを差し伸べるとき、神は神の愛をあなたに降り注ぐでしょう。神はすべての人間の内に、愛という姿で存在しています。この愛を無駄 にしたり誤用したりすべきではありません。今日、私たちは勝手気ままにあらゆるものに愛を示しています。好ましくないものを愛することによって、私たちは誤った道をたどり、惨めな状況に陥ります』
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
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2024年2月5日月曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ4(七尾市)

OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

1月28日(日)に金沢グループ メンバーが行った、七尾市避難所での震災復旧支援セヴァについて、ご報告いたします。

・前回1月21日(日)のセヴァで、支援物資が切迫していた田鶴浜高校と石崎小学校どちらの避難所でも物資が十分に届き始めていました。

・石崎小学校はコロナクラスターが発生しており、現在5名程度の方が残られているが早急に行き先を手配し、1月31日で避難所が解散となる。今後は、支援物資の集荷場となり地域の方と協力して、支援物資を取りに来れない方への配達のみに変更する。そのため、今回SSIOJ奉仕チームで用意してきた支援物資をご希望数お渡ししてきました。
※奉仕チームで購入した支援物資は、皆様からの寄付金を活用させていただいています。

・田鶴浜高校の避難所は徐々に人数は減っているが、二次避難所やご自宅に戻る等の行き先が決まらない方がまだ35名程度生活されている。2月からは炊き出しの予定が決まっていない。
そのため、今回持参したレトルトの梅粥、コーンポタージュ、具だくさんのレトルトカレー 他等の支援物資をお渡しし、私たちとしては、1食でも温かいお食事を提供できればと思い、大変急ではありますが、2月4日(日)に田鶴浜高校の避難者の方へ栄養たっぷりのベジタリアンメニューを用意して、お届けさせていただくこととなりました。

今回配布した支援物資の詳細は、こちらから確認できます。
※配布先ごとに参照シートが2つに分かれています。

以下は石崎小学校でのセヴァ報告です。

*****
1月28日(日)にインドのサイ大学学生3名と金沢グループ メンバーの5名で、七尾市の石崎小学校に、奉仕チームよりお送りしていただいた支援物資をお届けさせていただきました。

朝5時30分に出発し、のと里山街道を経由し8時に石崎小学校の避難所に到着しました。
七尾市へ向かう道路状況は、一般道路では先週まで通行止めであった場所が通行可能になっている箇所も見受けられ、少しずつ復旧作業が進んでいることを実感しました。

石崎小学校に到着し支援物資を搬入する為、避難所になっている体育館の扉を開けた時、数名の方々が撤収作業をされていた事に少し驚きました。先週時点では約50名近く避難されていた方々が5名ほどになっていました。避難所を運営管理されていた七尾市議会議員の瀬戸さんからお話をお伺いすると、避難所がコロナのクラスターとなり急遽1月31日で避難所を閉鎖するとの事でした。
避難されていた方々は、水の出ない自宅に戻られる方がほとんどで、あとは賃貸住宅に移られる方もおられるとのことでした。今後は、民生委員を中心とした地域の方々で、物資を取りに来ることが出来ない高齢者の方を中心に支援していくそうです。
瀬戸さんからは、「今までのSSIOJの皆様からのご支援を心から感謝します。本当に助かりました」と私たちの手を握りしめ話してくださり、これからは地域のみんなで協力して復興を目指すと力強く仰っていました。
必要な時はいつでも駆けつけますとお伝えし、避難所をあとにしました。

被災者の方々の心に平安が訪れますように、お祈りいたします。

ジェイ サイラム
金沢グループ

サティヤ サイババの御言葉です。
『私はセヴァ(奉仕)をサミティの最も重要な活動と見なしています。というのは、セヴァは最高の霊性修行だからです。損か得か、賛成か反対か、このやり方かあのやり方かといった議論に巻き込まれてはなりません。それらは間違った学識や歪んだ学識がもたらすものです。愛は理屈を無視します。セヴァは三段論法を尊びません。あなたが培うよう求められている愛を流れさせるために、愛を通して作られた規則を守る努力をしなさい。私はこのことを頻繁に言っているので、あなた方は皆、すでに私の気持ちを知っているでしょう。一日を愛で始めなさい。一日を愛で過ごしなさい。一日を愛で満たしなさい。一日を愛で終えなさい。これが神への道です』
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
すべての世界のすべてのものが幸せになりますように
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SSSIOJ奉仕チーム
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2024年1月30日火曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ3-3(七尾市)

OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

1月21日(日)に行った能登半島での震災復旧支援セヴァ第3弾、七尾市にある石川県立田鶴浜高等学校 避難所での支援について、セヴァヘ行った金沢グループ メンバーのお二人からご報告いたします。

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サイラム

田鶴浜高校へ訪問したときに感じたことです。

当初、レトルトの梅粥は調理がいらず、封を開ければすぐに食べることができ、保存もきくという理由で支援物資の一つに選ばせてもらいました。
ですが、次の訪問まで2週間経つうちに現地では状況が徐々にかわり、実際に訪問してみるとコロナやインフルエンザが流行していて、避難所でも具合の悪い方が増えていました。

インスタント食品、例えばカップ麺などは支援物資の中にもあるようでしたが、具合の悪い方は食べにくいということで、またお粥のようなものは支援物資の中にはあまり無いようでした。
ですので、私たちが梅粥をお渡しすると、お粥なら具合が悪くても食べやすいし、お年寄りでも食べれるととても喜ばれて受け取って頂けました。

対応してくださった担当の方自身も被災されているけれど、避難所のお世話をされていまして、やはり少し前まで体調を崩されていて、今は治りつつあるとのことでしたが、体にやさしい食べ物はありがたいと言われていました。

私は現地がこのような状況になると予想できていませんでしたが、これは前もってスワミ* がこうなることを全て把握されていた上で、このタイミングで手配されたのだと感じました。

皆さんの心のこもった物資をお届けできたことが、本当にスワミのお導きであると感謝しております。

*スワミ → 師への敬称。ここではサイババのことをいいます。

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サイラム

皆様から送られてくる支援物資を並べさせて頂きながら、その一つひとつに込められた、被災者の方々への思いをどうか無事にお届けさせていただけますようにと祈りました。
支援物資に毎日祈り、スワミに「どうかこの物資の全てが、必要な人に必要なだけ行き渡りますように」と祈っていました。

セヴァ当日、能登島地区コミュニティセンター、中島地区の地区長宅、田鶴浜地区コミュニティセンターへと行き、最後に田鶴浜高校という予定になかった場所へ導かれたのですが、その予定をしていなかった場所こそ支援物資を必要とされていたところでした。

地区長宅で物資を断られ、何か、自分の心に良くないところがあったのかなという思いがありましたが、断られたからこそ、まさに、必要な人に必要なものが届けられるというスワミの導きを感じることが出来ました。

改めて、スワミのお導きがなくてはできる事ではないと、自分に言い聞かせました。

ジェイ サイラム

サティヤ サイババの御言葉です。
『神の計画を理解したり説明したりできる人はどこにもいません。神の計画を知って、それを明らかにできるのは神のみです。神がいつ特定の個人に恩寵を注ぐかは、誰にも予測できません。「誰が」、「いつ」、「どこで」、「何のために」、「どのように」といった疑問に対する答えを知っているのは、神のみです。神を忘れて、エゴや行為者意識に流されてしまえば、その人の努力は成功しません。どんなことであれ、祈りによって達成することができます。祈りよりも偉大なものはありません』
https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_20041225.html
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
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2024年1月28日日曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ3-2(七尾市)

OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

1月21日(日)に行った能登半島での震災復旧支援セヴァ第2弾、七尾市立石崎小学校 避難所での支援について、ご報告いたします。

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サイラム

インドのサイ大学学生3名とユース世代の日本人が中心となったチームでの、石崎小学校セヴァの様子をご報告いたします。

朝5時にサイ大学学生3名を車でピックアップした後、千里浜経由で能登方面に向かい、8時には目的地の避難所に到着しました。
依然として午前8時以降の通行止め措置も続いていますが、それ以前の時間帯では渋滞もなく、緊急車両等の通行の妨害にならずに活動できているようです。

石崎小学校のあるエリアは、道路上の亀裂や隆起が各所に見られ、前日に能登でのテレビ報道陣の自動車事故のニュースもありましたので、安全には十分留意して向かいました。

傾いている電柱や崩壊している家屋もあり、海に近い地盤の弱さも関係しているのかもしれませんが、七尾市役所近辺よりは被害のレベルが一段と高い印象でした。

ここでは約50名の方が避難生活を送っていますが、続いている断水の影響で衛生状態が悪化しており、避難所内でコロナが流行っているそうで、11名が同避難所内で隔離中とのことでした。
今回は全国の皆様からお送りいただいた支援物資の他に、水タンクに水道水100リットルをお届けできました。
また、避難所の運営管理を担当されている七尾市議会議員の瀬戸さんから、状況について詳しいお話を伺うことができました。

様々な避難所のなかでも、とりわけアクセスが悪い場所で、モノが入ってこなくて困っているとのことで、その状況にも関わらず、七尾市からは、徐々に各避難所では自主・自立的な運営にシフトして欲しいとの要請があり、公的なサポートは縮小傾向で、様々な物資の在庫が減っていたところで、今日のサポートは本当に有難いタイミングであったと伺いました。

要望品としては携帯トイレやおしり拭き、マスクなどの優先順位は依然として高く、いくらあってもすぐになくなるとのことでした。また、食べ物(パンやカップ麺、レトルト製品)も需要が高く、避難所外の近隣住民の方たちも、それらを求めて受け取りにくるので、いくらあってもすぐになくなるとのことでした。

SSSIOJからの物品はこの避難所ではすべて配布し、大変感謝されました。
また、引き続きのサポートのご依頼もありましたので、よろしくお願いいたします。

この避難所は、とても海が近いこともあり、能登島が防波堤の役割を果たしていると考えられてはいるものの、恐怖を払拭できないまま過ごされている皆様も多いとのことです。

被災者の方々の安全と心の平安をお祈りしたいと思います。
ジェイ サイラム
金沢グループ

注記:田鶴浜高校、石崎小学校の避難所については、1月28日(日)に追加の支援物資を持って、セヴァヘ伺いました。そのご報告は後日行う予定です。

サティヤ サイババの御言葉です。
『徳は、体と心、両方の万能薬です。徳のある人は健康と幸福の両方を享受することができます。では、どうしたら徳を育むことができるのでしょう? どうしたら日々の実践の中で徳が表れるようにできるのでしょう? それは、生きとし生けるものへの奉仕、セヴァ(無私無欲のボランティア)を通じてすることができます。セヴァの根っこに水を与えるためには、徳が愛と思いやりと無執着という三つの水路を流れなければなりません。人間が群れを形成して生活するという本能を授かっているのは、互いに共感し合い、絶えず相手を思いやり、実際に奉仕を行う道へと人を駆り立てるためです』
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
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石川県での震災復旧支援セヴァ3-1(七尾市、志賀町)

OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

1月21日(日)に行った能登半島での震災復旧支援セヴァについて、ご報告いたします。

今回のセヴァは、前回支援時の聞き取り調査の結果と、その後電話やネット等を活用し、避難所に再度、現在の状況と必要な支援物資を確認しました。また、その調査過程で、新たな地域へも伺うこととなりました。
このように再確認をするのは、被災地では昨日不足していたものが、今日や数日後には余るほど行政や他の支援団体から手に入ることがあったり、またその逆の現象も起こってくるためです。
そのため、私たちのセヴァさせていただく支援物資は、最新状況を把握したうえで用意して、可能な限り無駄とならないよう支援をすることにしています。

そして今回のセヴァでは、Amazonの「ほしい物リスト」というサービスを活用して、皆様に支援物資のご支援を募集し、集まったものを金沢グループ メンバーが、必要とする避難所等へ持っていくという方法を実施しました。

【1月21日の支援物資配布のご報告】
・訪問場所
七尾市:石崎小学校、能登島地区コミュニティセンター、田鶴浜地区コミュニティセンター、田鶴浜高校、中島地区地区長宅
志賀町:富来小学校、富来防災センター

結果として
①中島地区地区長宅は、断水中、また周囲の民家の在否が不明で個人では確認ができないため物資の受取りは難しい。

②能登島コミュニティセンター、田鶴浜コミュニティセンター、富来小学校、富来防災センターは物資が足りていた。

③田鶴浜高校、石崎小学校は物資が少ない。(特に田鶴浜高校は、七尾市からの物資があまり来ていない。)

※当団体は、支援するメンバー及び支援を募るメンバーの人数が小規模のため、支援できる範囲や量に限界があります。そのため、支援先をより緊急性のある場所、深刻度を考慮しながら的を絞って支援しています。上記で「物資が足りていた」と表記した避難所も、細かく見れば必要とされる物資はありますので、ご了承ください。

今回配布した支援物資の詳細は、こちらから確認できます。

今後の予定としては、
・富来小学校、能登島コミュニティセンター、田鶴浜コミュニティセンターへは随時連絡を取り、物資の不足を確認する。

・特に、切迫している七尾市の田鶴浜高校と石崎小学校へ支援物資の提供をする。

これから数日に分けて、上記の被災地で実施したセヴァについてご報告いたします。
本日は、志賀町でのセヴァのご報告です。

*****
1月21日(日)、志賀町に向かいました。
志賀町のコミュニティセンターなどの避難情報は、他の市と比べると情報が大変少ない為、「志賀町は救援物資が少ない」という情報のみで、スワミにお導きいただくことだけを祈りながら車を走らせました。
志賀町は最大震度7という被害を受けた町であり、志賀原子力発電所もある為、町へ行く際も安全上の問題をよく耳にしました。
輪島につながる海岸線の道路は、地割れだけでなく、土砂崩れ、津波が押し寄せた跡、海で隆起した岩など被害の凄まじさを目の当たりにし、ガーヤトリーマントラを唱え、スワミに祈るばかりでした。
志賀町でも特に被害が大きかった富来に行きましたが、ボランティアの車はほとんどなく、渋滞している七尾市とは全く違う状況で驚きました。

一番初めに富来防災センターにお届けに伺おうとしたのですが、自衛隊の待機場所となっており、物資も豊富で仮設トイレも数多く設置されていたため、他の避難所に向かいました。富来中学校に向かいましたが学校を開校する為、避難者は先ほどの防災センターに移動されたとの事でした。その後も他のコミュニティセンターを探しながら走っていました。
その時、富来小学校に物資が少ないという情報を知り、向かおうとした目の前に富来小学校の看板があり、大変驚きました。
小学校の周りの道路は崩落し進めず、正面道路もあちこちで地割れしており避難所となっている富来小学校でさえも、大きくひび割れ危険な状況でした。

84名の方が避難されており避難者の多くはご高齢の方々でした。校内は薄暗くひんやりとしており、あちこちで雨漏りがあり、仮設トイレも2か所のみと避難所の生活環境があまり良くないと感じました。
避難所のスタッフの方に支援物資を受け取っていただけるか確認したところ、「パン、おにぎり、カップ麺は市から届くそうですが、高齢の方には食べづらく余る為、お断りしている」との事でした。他にも持ってきていただいた物資の中にはお断りする物が結構あるので、確認させてくださいと言われ少し待っていました。
その後、避難所責任者の方が来られ、支援物資を確認すると、「この避難所には全て必要なものです」と言われた時、全てスワミに導いていただいたと実感し感謝しました。
全国の皆様より送っていただいた物資の中には梅粥があり、高齢の方や体調の悪い方でも食べて頂けると喜んでおられました。
またカイロやネックウォーマーなどの暖をとるものも特に喜んでいただきました。
どこの避難所でもご高齢の方が多く、雪の降る寒い地域ですので特に寒さを防ぐもの、体が温まる食べ物、心も温かくなっていただけるものが必要とされている、と強く感じています。

能登への道は数少なく、毎日の雨、雪、余震でなかなか復旧作業が進まず、断水も続き、人手が足りないのに災害ボランティアを受け入れられないという大変な状況が続いています。
少しでもお手伝いをさせていただけますようにとスワミに祈る日々です。

ジェイ サイラム

サティヤ サイババの御言葉です。
『正直でいること、愛すること、活動的であること、そして、真実と愛と他者への奉仕の手本でいることによって、私に奉仕しなさい。つまり、あなた自身に奉仕しなさい』
https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19681001.html
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
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2024年1月26日金曜日

石川県での震災復旧支援セヴァ1~2(七尾市)

 OM SRI SAI RAM

令和6年能登半島地震により被災された皆さま、ご家族、ご関係者の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。

1月1日の元日に能登半島を震源とする震度7の大地震が発生しました。
そのため、金沢グループメンバーは、被災者でもありましたが、有志を募り、1月4日(木)、7日(日)の2回にわたり、能登半島の被災状況と今後の支援を検討するための調査へ、車に支援物資を積んで向かいました。
両日の金沢グループからの報告をまとめて、下記にご報告いたします。
※1月4日・7日の現状で、現在は状況も変わっています。

*****
【1月4日(木)】
能登半島の道路状況は、道路の亀裂、マンホールの浮き上がり、家屋の倒壊等で一部遮断され、七尾市より以北へは進むことができませんでした。また、信号機が機能していない等の理由で、渋滞が発生しやすい状況でした。
車で安全に進める範囲内で、支援物資の受け入れをしている避難所等を選定し、七尾市内の以下の場所に支援をすることに決めました。
※4日と7日の二回の被災地調査で決定。

①小丸山小学校(7日訪問)
②石崎小学校(7日訪問)
③田鶴浜コミュニティセンター(4日訪問)
④中島町塩津地区の地区長宅(4日訪問)
⑤中島小学校(4日訪問)
4日時点の現状は、断水は続いていましたが電気は使える状況でした。
しかし、支援物資は市役所から届きにくい、または届いていない状況。
田鶴浜コミュニティセンターは、避難所で寝食を共にしていました。
中島小学校は、支援物資を受取りに来ているという状況でした。

【1月7日(日)】
この日は、二手に分かれて、小丸山小学校と石崎小学校の避難所を訪問しました。
以下は小丸山小学校へ行ったメンバーの報告です。

本日、5名で七尾市の小丸山小学校という避難所に主に物資をお届けしてきました。
昨日から、県が連休中は個人ボランティアは渋滞の原因になるので、能登に来ないで欲しいとのメッセージを配信し(渋滞が救急や自衛隊車両の活動の妨げになるとのことで)難しい判断になりましたが、災害対応車両の通行が午前8時以降の通行止めにより確保されることになったようでしたので、私たちは午前5時に金沢を出て8時前には現地に移動を完了するプランで実施しました。
今回も道路が損壊していない北限地域までの活動となりました。
※道路の損壊による当地域でのパンクその他の万一のアクシデントには、JAFなども対応していないとのことです。

小学校は相変わらず水のため置きが行われるなど断水が未だ続いているようでした。
水は多く届いていますが、他はかなり品薄なので、個人による物資もすべて受け入れているとのことでした。この点も、石川県や七尾市は物資は企業と法人など大口のみ受け付け、個人からは受け入れないとしていますが、避難所レベルでは圧倒的な物資不足の状況もあり、自治体の対応とはかなり温度差がありました。公的機関を経た支給では日持ちのする食べ物(乾パンなど)が中心のような状況もあり、今回はベーグルパン120個が非常に喜ばれ、対応された方々の顔が明るくなりました。
※両避難所とも、七尾市役所からの支援物資はまだ届きにくい状況のようです。衛生面(簡易トイレ、身体拭きシート等)に関する支援品の強い要望がありました。また、屋根等の補修のため、ブルーシートの要望もありました。

小さな避難所のみがターゲットとならざるを得ない状況で、駐車場も空きが少ないため、皆で行う支援活動としていくにはどうすれば良いのか、交通との兼ね合いも含めて今後も頭を悩ませていくことになりそうです。
午後には警報級の雪との予報もあり、早めに帰宅・解散しました。

今回、SSSIOJからの支援物資を下記のように無事届けることができました。

【支援物資】
・ミネラルウォーター(2L、6本)×17箱 /(500ml、24本入)×5箱
・麦茶(2L)×18本
・紙コップ×400個
・ホッカイロ(30個入)×4箱 /(60枚入)×2箱
・災害用トイレ(20個)×1箱
・レトルトのおかゆ 130食
・生理用品(24個入)102袋
・ウェットティッシュ(80枚)48個
・ベーグルパン(卵なし:6個入)×20袋
・20Lタンク(水道水充填用)×3個
・折りたたみ式給水タンク×5個

【今後の方針】
飲用水および衛生用品の支援物資を優先的に奉仕させていただく。
地元の住民は治安悪化(空き巣など)を危惧しているため、信頼構築のために、奉仕先は両日で訪問させていただいた5箇所を重点的に支援していく予定としました。

大雪や事故等に巻き込まれることなく、必要な場所へ導かれましたことをババ様に感謝いたします。

ジェイ サイラム
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